「手のひろサイズの宝物」2012年2月号
「手のひらサイズの宝物」
「今日は点滴2回したし採血もした。青なってるわ。」
中学時代、入院生活の多かった私は病院の公衆電話から父に電話をかけるのが日課だった。難しい病気の為、遠く離れた大学病院での入院生活。
「はい、これお父さんから。」と母からいつもの物を渡される。テレホンカードだ。今は携帯という素晴らしく便利な物があるが、当時の私は公衆電話が唯一の連絡方法だった。
父は腰を悪くしていたので、遠い私の病院にくるのはとても無理だった。なのでいつもテレホンカードを母に預けてくれていた。50度数のカード。どこで手に入れるのかいつも違う絵柄の物だった。
それを持って、消灯時間がすぎたら、ソーッと待合いの公衆電話に行く。日中は混んでいてゆっくり話ができないからだ。
「今日の晩御飯のデザートにメロンが出てんで。美味しかった。」
「そ?かそ?か、しっかり食べな元気にならんぞ。残さんと食えよ。」
度数が減るのを確認しながら、どうでもいい事を報告する。だが、毎日の報告は和やかな話ばかりではなかった。
ある日、主治医から「明日から少し強い治療を始めるね。副作用で…。」と、淡々と説明された。長い説明の後、テレホンカードをにぎり公衆電話に走った。
「明日から治療変える言われた!治らへんやん!もう嫌!帰る!」昼間の混んだ待合いの人達が、一斉に振り返った。
「お母さんに行ってもらうから待っとけ。泣いたらあかん。」電話口の父の声は聞こえていたが、切ってしまった。
その晩遅く病室のドアがあいた。…父が立っていた。突然の出来事に驚いて声が出なかったのを覚えている。
「頼むから先生のいう事聞いてくれや…。」
父はワガママな私をなだめる
為だけに痛みをこらえてき
たのだ。
何も言わずジッとそばに
座っていた。
日中に大泣きをして疲れていたのか、いつの間にか眠ってしまったが、目を覚ました時もそばにいた。
「これ置いとくぞ。絶対治るんやから頑張れ…。」
テレホンカードを置いて帰っていった。会話らしい会話もしなかったが、父の思いは充分に伝った。電話ではあんなに話しができるのに…と、わがままな自分を反省した晩だった。
色々な柄のカードは使った後も捨てられず、退院時も束ねて持って帰った。
…20年経った今は街中の公衆電話は激減し、それと共にテレホンカードという言葉も耳にしなくなった。しかし、我が家の仏壇の引き出しには仕事を終えた度数0のカードの束がひっそり眠っている。
「あの時は自分の事ばっかりでお父さんの腰の心配せんでごめんな。」
いつもより長くお仏壇に手を合わせた。父と私を繋いでくれたこの束は、今は大事な大事な手のひらサイズの宝物。
時が経つと人の記憶は薄れていくというが、私はこのカードを握って毎日公衆電話に走った事を一生忘れない。
杖をついて病室のドアを開けた父の事も。
「今日は点滴2回したし採血もした。青なってるわ。」
中学時代、入院生活の多かった私は病院の公衆電話から父に電話をかけるのが日課だった。難しい病気の為、遠く離れた大学病院での入院生活。
「はい、これお父さんから。」と母からいつもの物を渡される。テレホンカードだ。今は携帯という素晴らしく便利な物があるが、当時の私は公衆電話が唯一の連絡方法だった。
父は腰を悪くしていたので、遠い私の病院にくるのはとても無理だった。なのでいつもテレホンカードを母に預けてくれていた。50度数のカード。どこで手に入れるのかいつも違う絵柄の物だった。
それを持って、消灯時間がすぎたら、ソーッと待合いの公衆電話に行く。日中は混んでいてゆっくり話ができないからだ。
「今日の晩御飯のデザートにメロンが出てんで。美味しかった。」
「そ?かそ?か、しっかり食べな元気にならんぞ。残さんと食えよ。」
度数が減るのを確認しながら、どうでもいい事を報告する。だが、毎日の報告は和やかな話ばかりではなかった。
ある日、主治医から「明日から少し強い治療を始めるね。副作用で…。」と、淡々と説明された。長い説明の後、テレホンカードをにぎり公衆電話に走った。
「明日から治療変える言われた!治らへんやん!もう嫌!帰る!」昼間の混んだ待合いの人達が、一斉に振り返った。
「お母さんに行ってもらうから待っとけ。泣いたらあかん。」電話口の父の声は聞こえていたが、切ってしまった。
その晩遅く病室のドアがあいた。…父が立っていた。突然の出来事に驚いて声が出なかったのを覚えている。
「頼むから先生のいう事聞いてくれや…。」
父はワガママな私をなだめる
為だけに痛みをこらえてき
たのだ。
何も言わずジッとそばに
座っていた。
日中に大泣きをして疲れていたのか、いつの間にか眠ってしまったが、目を覚ました時もそばにいた。
「これ置いとくぞ。絶対治るんやから頑張れ…。」
テレホンカードを置いて帰っていった。会話らしい会話もしなかったが、父の思いは充分に伝った。電話ではあんなに話しができるのに…と、わがままな自分を反省した晩だった。
色々な柄のカードは使った後も捨てられず、退院時も束ねて持って帰った。
…20年経った今は街中の公衆電話は激減し、それと共にテレホンカードという言葉も耳にしなくなった。しかし、我が家の仏壇の引き出しには仕事を終えた度数0のカードの束がひっそり眠っている。
「何でこんなん置いてるん?」主人の質問に「置いといてよ!捨てたらアカンで!」と大声で答えた。
手に取ると、当時の色々な思い出が蘇り胸が熱くなる。「あの時は自分の事ばっかりでお父さんの腰の心配せんでごめんな。」
いつもより長くお仏壇に手を合わせた。父と私を繋いでくれたこの束は、今は大事な大事な手のひらサイズの宝物。
時が経つと人の記憶は薄れていくというが、私はこのカードを握って毎日公衆電話に走った事を一生忘れない。
杖をついて病室のドアを開けた父の事も。
わたしのちょっと感動した本より・・・